中学校の課題の出し方、これでいいの?

  昨年の三月に公立学校の教員を定年退職し、その後、前橋市内で学習塾を始めました。私の塾は、どちらかという小と学生が中心なのですが、数名の中学三年生が通ってきています。
  実は、その中学生たちは、いわゆる「勉強ができる」生徒たちではありません。二年生までは、ほとんど勉強をすることなく学校生活を送っていたようです。しかし、三年生になり、さすがに「高校に行きたい!なんとかしなくちゃ!」という思いをもつようになり、私のところを頼ってきてくれるようになりました。
  学習を始めてみると、確かに小学校高学年から中学校一年段階の学習でつまずきが見られます。二年生までのテスト結果や答案用紙を見せてもらうと、ほとんど点数を取れていません。そこで、一学期の期末テスト前には、本当に基礎的な内容を確実に身に付けてテストに臨ませようと作戦を立てました。
  ところが、その作戦は完全に失敗に終わります。
  生徒たちが、テスト一週間前に、山のような課題(ワークブックや学習プリント)を抱えて塾にやって来たのです。そして、「テストが終わるまでにこれやって行かないと、点数引かれちゃうんです!」というのです。そして、それは一年生からずっとそうだったとのこと。
  結局、その課題を塾でやることになりました。ところが、始めて、びっくりです。彼らは、ほとんどの問題について答えを写しています。私がたしなめて、一緒にやろうとすると、「時間がありません!」「これまでもずっとこうだったから、大丈夫。」というのです。『何がだいじょうぶなの?』と思いつつも、確かに課題の量の多さと、目の前の生徒たちの学力を考えたら、じっくり考えて答えを出している間などとてもありません。
  そして、夏休みが終わりに近付いたある日。やはり彼らは、夏休みの課題の「答え写し」を必死にやっています。「これ、仕上げて出さないと、減点されちゃう。でも減点されるほど、点数ないんだよね。」と、答えを写す作業に慣れっこの本人たちはあっけらかんとしています。
  しかし、それを見ている私としては、大変複雑な気持ちになります。中学校の先生方は、全員に平等に課題を出しているのでしょう。しかし、この「平等」は正しい「平等」なのでしょうか。現在の受験対応を迫られている中学校ならば、なおさら、一人一人の生徒の受験学力は把握しているはずです。それならば、その生徒の実態に応じた課題の出し方があってしかるべきなのではないでしょうか。全員に違う課題を用意すべきだなどと言うつもりはありません。しかし、その生徒が自分自身の学力実態に応じて、課題を選択して、答えを自分で探る本来の学習スタイルを保証するなどの工夫はいくらでもあるように思うのですが。
  いずれにしても、課題に追われて、学ぶ楽しさを味わうことなく、課題の山に立ち向かわされている生徒たちを見ていて、戦後ずっと続いている受験対策に迫られる中学校教育がかかえる大きな課題をあらためて感じます。そして、そのような中で、「どうせさ、この課題出しても、先生はさ、はんこ押して終わりなんだよね」とこともなげに言いつつ、課題をひたすら写す生徒たちを見て、『こんなつらいつまらないことにも、一生懸命取り組もうとする前向きな姿勢だ!』と評価すべきなのか、『完全にこのような作業を押しつけられることを受け入れてしまうほどに感覚が麻痺してしまっている!』と嘆くべきなのか、日々悩んでいます。