ギャップ

塾が始まって以来お休みしていた「授業に学ぶ会」が、今日、久しぶりに開かれました。これまでは、現場の先生方の要望もあり、月に一度、金曜日に行っていたのですが、金曜日は私の塾での授業があることから、今回から月に一度の土曜日に開催することとなりました。

今日は長野県の木島平中学校の社会科の授業を見せていただき、その授業からたくさんのことを学びました。今日、このブログに書きたいのは、その木島平中学校の社会の授業の様子と、群馬県の一般的な小・中学校の授業の様子のギャップなのです。

きっと、この『塾長ブログ』を学校の先生方が読んだら、「また、岡野が教員批判をしている!学校の現場がどれだけ大変かわかっていない!」ときっとお怒りになることでしょう。ですが、はじめに断っておきますが、生徒指導、校務分掌に関わる仕事、中学校では部活指導、等々の大変さの中で、先生方が精一杯やってらっしゃることは、十分に承知しています。その上で、「では、授業に関する教材研究や指導に関する研究をおろそかにしていいのですか?」「教師の一番の仕事は授業を作ることであり、生徒に学ぶ楽しさと確かな学力を身に付けることではないですか?」と問いたいのです。最近会った中学校の若手の先生と話をする中で、「職員室で教材研究する先生はほとんどいません」ということを聞いて、愕然としました。放課後になると、部活指導を遅くまで行い、終わってから会議をやるような状況で、とても教材研究なんかしている暇がない、ということも、分かってはいるのですが。

前置きが長くなりましたので、本論は簡潔に。

見せてもらったのは木島平中学校の1年生の地理の授業でした。およそ50分の授業の中での教師の発話はおそらくトータル10分もなかったと思います。ほとんどの時間、グループで課題追求をしているか、学級全体で課題についての議論をしているのです。生徒は、自分の発言の前に「いい?」と他の生徒に聞きます。すると、他の生徒は「いいよ。」と答えます。これは、「これから自分が意見を述べていいか」と聞いているものであり、それに対して「いいよ。自分たちはしっかり君の意見に耳を傾けるよ」という返事です。そして、実際に、発言する生徒たちは、教師になんか向かって意見を言いません。学級の友達に自然に話しかけています。そして、全部の生徒が(もちろん教師も)真剣にその意見を聴き取って、その意見につながり合って自分たちの考えを重ねていきます。まさに、『聴き合い』が実践されているのです。さらに、教師は、指導的な、何か1つの決まり切った答えを教え込むという行為は行っていないのです。

塾に来ている中学生や、知り合いの中学校の先生方から聞く、県内の中学校の授業のように、ワークと学習プリントで答え探しをして、わかる生徒が答えて、教師が黒板にその答えを書き、ほとんど生徒はそれを写して終わっている風景とは全く異なります。この風景のギャップです!

実は、これは、中学校だけの問題ではありません。小学校だって、ほとんどの教室で同じような状況が起こっているのです。だから、高学年になったら、多くの子供たちが各教科の学習に対する興味・関心を失っていて、手紙を書いて渡しっこしたり、ノートに漫画を書いていたり、中には居眠りをしてしまう子だっているのが現実です。

なお、長野県の木島平村は、当時の教育長さんの方針で、もう十数年前から、小・中学校ともに学びの共同体の取り組みをしているのだそうです。したがって、生徒たちは小学校から学び合いによる授業づくりに十分慣れ親しんでいます。そして、先生方も、学び合いによる授業作りについて、熟知しているようです。