文章力

 夏休みになり、感想文のサマースクールが続いています。一番人数の多かった低学年のコースと中学年の予備日のコースは終了し、目下高学年が進行中で、お盆明けに中学年の子供たちの中学年の本コースの子供たちの授業が残っています。

 この感想文の指導、特に低学年の指導を通して、文章を読んだり書いたりする基本的な「力」について、あらためて「国語科の授業」について考えさせられています。

 低学年の子供たちですから、文章を書く力はそれほど期待していたわけではありません。とはいっても、2年生の子供たちには、ある程度の期待がありました。ところが、その子たちの文章力たるや、信じられないくらいに身に付いていないのです。1年生は、1学期が終わったこの段階であれば、3文節程度の1文をしっかり書けて、その文を3文程度つなげて書けたらよしとすべきかと思います。しかし、2年生であれば、1文1文を意識しつつ、意味のまとまりのある段落の構成がある程度できるくらいには文章を書けるはずです。しかし、来ていた子供たちの実態は・・・・・・

*一つの文を作る意識がほとんどできていません。そのために、いくつもの要素をただ書き連ねてしまいます。

*文の途中に、ほとんど「読点」をつけることができません。言葉の句切りの意識が育っていません。

*文と文とのつながり(接続)に関する意識がほとんど育っていません。

*自分が考えていることを、音声にしろ文字にしろ、表現する習慣化がほとんど図られていないような印象です。

*文章の中の文字情報を、しっかりと受け止めて理解する能力がどこまで育っているのか、はなはだ疑問です。そもそも、自分の中に受け入れようとする意識が育っているのか疑問に思えます。

 これらは、国語科として身に付けるべき基本的な能力の一部であるはずです。それらが、きちんと身に付いてないということは、とても気がかりです。

 しかし、考えてみると、小学校の国語教育の現状として受け入れざるを得ないのかもしれません。どのクラスも国語教育の専門家が授業をしているわけではありませんし(国語の免許保有者の割合は、小学校では極端に少なく、全教師の1割もいないのではないでしょうか)、国語の免許を持っているといっても、きちんとした国語科の授業論を身に付けている人は少ないのかもしれません。したがって、日々の授業の中でどのような授業を行って、どのような力をつけていかなければならないか、ということが教師の中で認知されないままに授業が進んでいる可能性があります。

 結局は、学校現場の国語の授業の問題に帰結してしまうようです。

 もっともっと、国語教育、国語科の授業づくりについて議論したいのですが。