「話し合い」・・・質の問題

    学校の授業作りで、教師は、よく「話し合い」を大事にします。「アクティブラーニング」が取り沙汰され、新しい学習指導要領では「主体的・対話的で深い学び」という新しいキーワードが示されたこともあり、なおさら「話し合い」が大事にされるようになりました。

  そして、この「話し合い」は、言葉のイメージからもコミュニケーション能力に直結すると考えられる方も多いことでしょう。

   さて、この「話し合い」ですが、ほとんどの教室で、とても大きな間違い(弊害と言ってもいいかもしれません)が起こっています。と、言ったら、「また、岡野が大袈裟なことを❗」と思われる方は多いことでしょう。でも、そう言わずに読んでみてください。

   先日の高学年の国語の時間のエピソードです。谷川俊太郎さんの『わるくち』という詩を読んでいる中で、A君が「この二人、この後仲直りしたと思うんだ」と言いました。それを聞いていたBちゃんが「A君は、仲直りしたと言ったけど、最後が「へーん」「ふーん」で終わっているから、それはちがうと思います。」と発言しました。よく教室で見かける風景です。だれかが発言したら、それに対して、賛成か反対かを述べます。挙手をして教師が指名することもあるでしょうし、子供同士が指名することもあります。ちなみに、学校や教室によっては、「賛成・反対・付け足し」等のハンドサイン(例えば賛成はチョキで、反対はグーのように)を決めておき、誰かが発言したら挙手をした指で自分の意思を表現します。私もかつては使ったことがあります。

 では、このどこが問題なのか!?ということになります。先ほどのBちゃんはきちんとA君に対して反対の意見を述べているのだから、それでいい、それで話し合いになっているではないか、というのが一般的なのかもしれません。

 しかし、そこが大きく違うところなのです。この3月の「授業に学ぶ会」の中で、新潟大学の一柳先生から「聴き合い」ということについてご講演をお聴きしたのですが、その一柳先生からお聞きしたことや、これまで群馬大学の濵田先生から教えていただいたこと、いくつかの本の中か学んだことを元に、述べてみます。

 先ほど例に出したBちゃんをはじめとする、多くの教室で「話し合い」を行っている子供たちは、誰かの意見を自分の中で「同じか違うか」「合っているか間違っているか」と評価をしています。そして、相違点か共通点を自分の意見として述べています。あるいは、そのこととは全く異なった意見を新たに発言しています。時には、教師の求めている答えが出るまで、幾人も意見を言わされることもあります。

 しかし、これらは「話し合い」にはなっていおらず、ただの「言い合い」に過ぎません。大事なことは、意見を言った人が、どのような考えや気持ちでその意見を持ったのかを、まずは自分の中にしっかり取り入れ、そのことを十分に理解することからスタートすることです。友達の意見をしっかりと受け止め、その上で、自分の考えを相手に伝え、相手に自分の考えや気持ちを逆にしっかりと受け止めてもらいます。それにより、双方の思考や意識が絡まり合って、より深い考えが生まれてくるでしょう。そして、相互理解がグッと深まります。

 そもそも、コミュニケーション能力にとって大事なことは、この相互に相手を理解することなのだと思います。先ほどのAくんとBちゃんの例に戻って説明しましょう。

 A君の考えを聞いたら、グループやクラスのメンバーは、『A君はどうして、そんなふうに考えたんだろう?』『そのように考えたのは、詩の中に何かヒントになることをA君は見つけたのかな?』『何かA君なりの理由があるんだろうな』と言うように、考えます。そして、もしA君が理由をしっかりと言えてなかったら

「A君、どうして、そう考えたの?」と聞いてもいいですね。あるいは、

「A君がそう考えたのは、こういう理由からなの?」と確認することも大事なことです。そして、よくわからなかったら、

「A君、君が言ったこと、よくわからなかったから、もう一度説明してくれる?」と聞き返せる教室の雰囲気もとても大切です。

「そうか、A君が言おうとしていることは、こういうことでいいのかな?」と、A君の思考を自分なりに解釈することで、自分自身の思考が大きく深化します。こうなると、グループやクラスの子供たちは、A君と同じ視線で問題と向き合うことができます。

このような、言葉が子供たちから出てきたら、素敵な「話し合い(聴き合い)」になると思うのです。