中学校における授業指導についての疑問

 ちょっと、ストレートすぎる題名をつけてしまいました。そもそも、一般的な作文指導では、題名は文章を書き終わってからつけるのがよいとされています。したがって、書き終わったあとにもっと適切な題名が見つかったら、つけなおします。

 前置きはさておき。先週まで中学生の中間テストに向けてのテスト勉強で、3年生二人と毎晩格闘していました。その中で、見つけた疑問です。それは、

中学校の先生方は、なぜテスト前に膨大な課題を出すのか!?

ということなのです。1年生のものも見せてもらいましたが、3年生の中間テストに向けて出された課題たるや、かなりの量でした。私のところに来ている3年生二人(KさんとKさん)との学習がほぼ3週間が経過し、意欲的に学習を積み重ね、中間テストの十日前頃から、基礎的な内容の確認をしながらテスト範囲の勉強を始めました。その二人が、中間テストの3日ほど前から、「先生、課題が終わりそうにないから、そっちもやらなくちゃ。課題出さないと成績下げられちゃうんですよね」と言うのです。

 中間に備えて「課題」が出ることは聞いていましたが、あまり重く受け止めずにいました。そこで、各教科の「課題」の中身を聞いてみました。びっくり!でした。多くがワークの◯ページから◯ページまでをやりなさい。◯◯のプリントの内容を覚えなさい。というような課題がとてつもなく出されているのです。中には、「このドリルの答えを3回ノートに写しなさい」というのもありました。

 おそらく、中学校の先生は「この子たちは、課題を出さないとテスト勉強をしないから、とにかくたくさん課題を題して、勉強させよう」という思いで、出しているのでしょう。そしてご丁寧に、テスト範囲はそれらのワークやドリルに出ていた問題を出題するということらしいのです。

 これだけ読むと、『岡野は何を憤慨しているの?』と思われる方も多いかと思います。ごく普通の中学校の授業風景で、中学校の先生方はたくさん課題を出してエライ!と思う方もいるかもしれません。

 しかし、私にはそうは思えません。それらのワークをきちんと計画的にこなせる、あるいは過すぐに答えを導き出して時間をかけずにできる生徒は、クラスの何割くらいいるのでしょう?もしかしたら、半分いないかもしれません。かなりの生徒は、そんなに易々とそれらの課題をクリアできるほどの学習習慣も、易々と答えを出せるほどの力をつけているとも言えません。そこで、どうするかというと、解答を写してとにかく穴を埋め、提出できる状態にするわけです。当然、その内容をしっかりと覚えて、テストに備えることなどできません。ただ、ひたすら期限に間に合わせるために解答を写すことに精力をつぎ込みます。彼らは、そのような『テスト勉強』を1年生の時から積み重ねてきたわけです。したがって、勉強が面白いわけないし、どんなに時間をかけても何も身に付きません。

 つまり、課題を出す教師は、成績中位群から下の生徒のことを本当に考えているのか!?と言いたくなってしまいます。自分自身も30年も昔、中学校に籍を置いて中学生の指導をしていました。これを読んでくれる方の中には、そのときの教え子たちがたくさんいて、「先生だって」と言われてしまいそうですが、当時は、あまりワークやドリルに頼る授業はしていなかったように思います。(この問題は、別の機会に書きたいと思います。)

 話を戻しますが、現在の学校の成績システムでいうところの成績上位者は、教師の出す課題に何ら抵抗なく取り組めます。しかし、中位以下の生徒はかなり厳しいのが現状です。そのような形だけのワーク・ドリルをやるよりも、自分の実力にあったレベルのテスト勉強をしたいと思っているはずです。

 しかし、教師は、「そんな甘いことを言っていたら、あいつらは勉強をしませんから」と言うでしょう。「だから、テストの前にしっかり課題を出して勉強をさせるのが私の仕事なんです。」と言うでしょう。

 しかし、それは小・中学時代ある程度の成績が取れていた、「できる」人(そもそも教師になれる人は、やはりある程度の学力があった人たちですから)の論理です。実際には、もっと生徒個々に合った課題の出し方をしない限り、生徒に本当の力はつかないのです。一人のKさんが「先生ってさあ、アタマの悪い子のことはあまり考えてくれないんだから、しょうがいないよ」と言っていました。さすがに3年生ともなると、割り切ったものです。

 最後に、そもそも、ワークやドリルをやらせて、その内容をテストに出すのって、本当にありですか?それでは、4月の新学期スタート以後、授業中なんの学習をしていたのですか?その学習に関する定着の度合いを判定したり、学習の中での育ちを評価するのが「中間テスト」の目的ではないのですか?

 やはり、今回の題名は、このままでいいようです。