あらためて「主体性」について

 長女から「こんな記事があったよ」とラインのメッセージが届きました。ヤフーニュースの一つの記事した。

 内容は、NPO法人キーパーソン21代表理事 朝山あつこさんという方の記事。タイトルは『「ふつうの主婦」が見つけた「わくわくエンジン」のかけ方』というもの。かなり長い記事の中に、「これからの人に必要な2つのこと」として「主体的な自分=わくわくエンジン」と「協働の社会=コミュニケーション」というのがありました。

 そんなこともあり、しばらく長女とラインで「主体性」ということについてやりとりをしました。

 「主体性が大切なのはわかるけど、家庭で身に付けるのってむずかしいね。」と、子育て真っ最中の長女(二人の娘の母親です)は、今後の我が子の育て方をイメージしながら漏らしていました。

 このやりとりの中で、そもそも主体性って誰かが育てるものなのだろうか?と、ふと気になりました。もしかしたら、その子を取り巻くまわりの様々な環境(ひと、もの、こと)から、様々な影響を受けて自発的(内発的)に湧き出てくるものなのではないだろうか、そんなふうに思えてきました。

 学校では、もう何十年も昔から(私が教員になったときはすでに)、主体性を育てるということは大きなテーマになっていて、多くの学校が校内研修のテーマに掲げて学校をあげて研修をしたり、たくさんの教育情報誌がテーマに掲げて学者の方々の論文や実践者たちの実践事例を紹介したりしてきました。しかし、それで、本当に子供たちの中に「主体性」は育ったのか、といったら、「?」です。かくいう、私自身、長い間子供たちが主体的に学習に取り組むための指導法を国語科を中心に工夫してきました(そのつもりでした)。しかし、なかなか実現できず、授業を終える度に反省の日々が続いていました。

 そして、これまで見てきた多くの学校で、行事を行うにしても委員会活動を行うにしても、もちろん授業においても、教師が多くをお膳立てして、いかにも子供たちが主役になるように仕向けてはいます。やはり、これはではな~、と思わざるを得ません。

 このようなこれまでの学校現場を振り返りつつ、やはり「協働的な学び」に大きな期待を寄せてしまうのです。子供たちは、友達と、先生と、教材と、多くの社会現象といろいろな形でつながり合う中で、自らが何を学ぶべきかを学んでいきます。これこそが求める「主体性」なのだと思うのです。

 今、私の塾で実践したいと思っているのはまさにこのことなのです。実際にそのための授業をデザインするのは容易なことではないのですが、集まってくれた子供たちに、その環境を用意して上げたいと思っています。つまり、教師の一番の役割は、教科書の内容を教え込むことではなく、子供たちが学ぶための環境をいかに整えて上げるか、ということにかかっているのだな、とあらためて確認できました。

勉強が苦手な子への対応は?

ここ数日、幾人かのお母さん方から相談がありました。

「4年生なんだけど、とにかく勉強が嫌いで、全く宿題もしないんだけどどうにかなりますか?」

「6年生になったんだけど、まだかけ算がしっかり身に付いていないところがあって、この先とても心配なんだけど、どうしたらいいですか?」

「とにかくうちの子は勉強ができなくて、中3なんだけど、今のままじゃ、行ける高校が見つからないんだけど、どうしたら?」

きっと、このような悩みを抱えているお母さんたちは多いのだと思います。そして、お母さん以上に子供たち本人は不安を抱えて悩んでいるんだと思います。なにしろ、毎日学校へ行って、苦手で内容がよくわからなくても、先生の授業はどんどん進んでしまい、ますますわからなくなってしまい、それでも我慢していすに座って教室にいなくてはならず、テストがあれば、いい得点の子ばかりがうれしそうにしていて、自分は恥ずかしいから、点数を見られないように鞄にしまいます。

これらのお母さんたちの話を聞き、そして、実際に小・中学生と会ってみて、あらためて考えさせら、気づかされたことがあります。それは、このような自信をなくし不安な気持ちで毎日学校に通って頑張っている子供たちを、しっかり支えられずに学校が存在しているんだと、いうこと。

そもそもは、何度も書いてきましたが、日本の教科の枠組みが、やはり知識・技量をたくさん身に付けさせ、それによって子供たちの能力を測って、高校入試を行っている今の体制に問題があるのですが、それを言っても始まりません・・・

学校の先生方の毎日は本当に忙しいのです。本当は、このように学習が遅れてしまった子供たちを個別にでも丁寧に見てあげたい、とみんな思っています。しかし、子供たちが学校にいる間は、そのような空いている時間はありません。そして、授業時間では、決められた時数で、教科書の中身をどんどん消化していかなければなりません。そうなると、遅れている子供たちに寄り添うなんて、とてもできない状況で、気にしながら、心配しながら授業を進めざるを得ない日々を送っています。

では、どうしたら?難しいですね。

ただ、相談を受けたからには、何かしてあげたくなるのが私の性分。中学3年生の特別コースを新設して、一緒に勉強を頑張ろう!ということになりました。もし本人にやろうという意志がなければ、私もそんな気は起こさないのですが、本人が【勉強したい、高校に行きたい】という意志を明確に持っています。それなら、私がお手伝いしない手はありませんからね。同じような感覚で、小学生も特別教室を設定することにしました。いずれにしても、1人でも勉強をしたい、勉強ができるようになりたい、という子供たちに向き合いたいと思います。

やっぱり、授業は楽しい!

 あっという間に1週間が過ぎました。中学生のクラスは残念ながら、まだ生徒さんが来ていないのですが、小学生の方は各教室に子供たちが来てくれて、授業が始まりました。授業作りについては、本当は、1週間単位で計画表を出したいと思っているのですが、どのような子が何人来てくれるかもはっきりしなかったので、この点が実行できていなくて反省です。

 

 授業が始まると、子供たちがいろいろな考え方を披露してくれて、それをお互いに聴き合って、また考えが進んでいきます。下学年のクラスでも70分という長めの1単位時間ですが、子供も私も、結構時間を忘れて授業が進んでいます。帰りが遅くなるので体がまだ慣れませんが、やはり授業は楽しいですね。

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全国学テ

 今日は、全国学テが一斉に行われています。今年も、またこれが行われるのか、と思うと、なんともやりきれない思いになります。文部科学省がどのような考えでこのようなテストを継続しようとしているのか、そんなことは好きにすればいいと思っていますが、どこかで「うちの県(市町村)はこんなのやーめた」というところはないのだろうか、と考えてしまいます。

 結局、このテストのメリットはあるのか、大変疑問です。結果としての順位ばかりがマスコミに取り上げられ、脚光を浴びてきました。文科省も、県教委や市町村教委も、単純に順位を取り上げてやいのやいのと言わなくなってきてはいますが、それでも結果が出て、全国で何番目、全国平均と比べてこんな位置づけ、と言うのが突きつけられれば、やはり校長先生たちは心穏やかではないでしょう。

 すでにいろいろなところで話題にもなっていますが、この学テをするための練習問題を必死にやらせている学校もあるやに聞いています。かつて、県教委のあるお立場の方は、全県の校長会で「何でもいいから書かせて、空欄を作らせないでください」という話をしたことがあります。確かにそうでもしないと、全国比較で平均以上の正答率を確保するのはかなり厳しいことになります。

 かなりの国家予算を使い、全国の小・中学生を巻き込んで実施しているこの全国学テですが、いくらこのテストを実施して、結果を分析して各学校に返したとしても、このことが授業改善にはほとんど結びつきません。この前身の「教育課程実施状況調査」のときには、その目的が「次の学習指導要領改訂のため」という一応の目的がありました。そして、この全国学テが始まったときも、そのような目的意識はあったはずです。しかし、昨今は、なんとなく惰性でやっているような気がしないでもありません。

 いずれにしても、結果が出たとき、その結果の数値にばかり気をとられ、「うちの県は、全国平均よりも上だ、下だ」などというばかげた騒ぎにだけはなってほしくないと思います。

準備が間に合う?

教室の改修工事が進みつつあります。そちらは、予定通りに進むのでしょうが、私の準備が間に合うのかどうか。昨日は、説明会で

配布予定の説明資料や子供たちに使わせる授業日記の用紙や、施設の案内書を作成。プレゼン用のファイルもほぼできました。

この後、「みらい」のシラバス作りが大きな山場となりますが、とりあえず今日の仕事はここまで。

県内、初!? もしかしたら国内でも滅多にない!? 学校教育への挑戦状!?

最近、考えるのですが、手前味噌になってしまい恐縮ですが、私がやろうとしている学び合い塾って結構すごいと思うのです。

インターネットで「学び合い 塾」とか「学習塾 学び合い」と検索をすると、大手の学習塾はもちろん、たくさんの塾がヒットすると思います。しかし、それらの塾は、形だけグループ活動を入れて、今、はやりの「アクティブラーニング」をうたいながら「学び合いをしています」というスタイルをとっているように思います。しかし、実際には、教師が何かを教えて子供たちが必死にそれを覚える、という基本的なスタイルは変わらない場合が多いことでしょう。

しかし、私がやろうとしている塾は、本当のホンモノの「学び合い」の授業を行います。まだまだ、私は十分にその理論や実践に関して理解し切れていないことがあり、もっともっと私自身が勉強しなければならないのですが、ベースにある「協働的な学び(共同的な学びとも)」を実践しようとする学習塾は、おそらく全国的にも大変珍しいでしょうし、県内では完全に初めてだろうと思います。

そして、もう一つのベースになっている「イエナプラン教育」(こちらも、まだまだ勉強不足ではありますが)の理念・手法を取り入れた塾も県内では初めてのものだろうと思います。全国的には、いくつかあるようですが。

「イエナプラン教育」はほとんどの学校の先生方は知りませんから、学校に取り入れられることはまずありませんが、「学び合い」についてみてみると、実はさきほどの「学び合い」をうたっている学習塾とほとんど同様な状況が、ほとんどの学校に当てはまります。群馬県内はなおさらです。

「学び合い」といいながら「学び合っていない授業」、「話し合い」といいながら「話し合いではなく、意見を言える子が自分の考えを発表しているだけの授業」というのが実情です。

このようなことを、しょっちゅう言ったり書いたりするので、友人の中には「学校批判にとられるんじゃないの?大丈夫?」と心配してくれる人もいます。確かにそうかもしれません。ただ、自分としては「批判」とは考えていません。いつになっても「旧態依然」の学校現場の授業への「挑戦状」くらいの気概で、この塾をやっていきたいと思っています。そして、私の塾から、子供たちの中に本当の学びがうまれる様子を発信していきたいのです。

実際には、かなりの制限がかかってきます。一番ネックになるのは、授業を1週間に最低でも3時間はやりたいのですが、1時間しかできないこと。そして、いろいろな学校の子供たちが集まって学習集団を作ることも、大きな関門です。このような状況下にはりますが、ある程度の成果を出して、あわよくば、若手の先生方に参観してもらって、ご自身の授業の場に持ち帰ってもらえたらと思っています。それにより、群馬県内の学校における「授業改善」「授業改革」が前進することも目論んでいます。

内心、こんな大見得を切って大丈夫か?という不安は大きいのですが。