準備が間に合う?

教室の改修工事が進みつつあります。そちらは、予定通りに進むのでしょうが、私の準備が間に合うのかどうか。昨日は、説明会で

配布予定の説明資料や子供たちに使わせる授業日記の用紙や、施設の案内書を作成。プレゼン用のファイルもほぼできました。

この後、「みらい」のシラバス作りが大きな山場となりますが、とりあえず今日の仕事はここまで。

県内、初!? もしかしたら国内でも滅多にない!? 学校教育への挑戦状!?

最近、考えるのですが、手前味噌になってしまい恐縮ですが、私がやろうとしている学び合い塾って結構すごいと思うのです。

インターネットで「学び合い 塾」とか「学習塾 学び合い」と検索をすると、大手の学習塾はもちろん、たくさんの塾がヒットすると思います。しかし、それらの塾は、形だけグループ活動を入れて、今、はやりの「アクティブラーニング」をうたいながら「学び合いをしています」というスタイルをとっているように思います。しかし、実際には、教師が何かを教えて子供たちが必死にそれを覚える、という基本的なスタイルは変わらない場合が多いことでしょう。

しかし、私がやろうとしている塾は、本当のホンモノの「学び合い」の授業を行います。まだまだ、私は十分にその理論や実践に関して理解し切れていないことがあり、もっともっと私自身が勉強しなければならないのですが、ベースにある「協働的な学び(共同的な学びとも)」を実践しようとする学習塾は、おそらく全国的にも大変珍しいでしょうし、県内では完全に初めてだろうと思います。

そして、もう一つのベースになっている「イエナプラン教育」(こちらも、まだまだ勉強不足ではありますが)の理念・手法を取り入れた塾も県内では初めてのものだろうと思います。全国的には、いくつかあるようですが。

「イエナプラン教育」はほとんどの学校の先生方は知りませんから、学校に取り入れられることはまずありませんが、「学び合い」についてみてみると、実はさきほどの「学び合い」をうたっている学習塾とほとんど同様な状況が、ほとんどの学校に当てはまります。群馬県内はなおさらです。

「学び合い」といいながら「学び合っていない授業」、「話し合い」といいながら「話し合いではなく、意見を言える子が自分の考えを発表しているだけの授業」というのが実情です。

このようなことを、しょっちゅう言ったり書いたりするので、友人の中には「学校批判にとられるんじゃないの?大丈夫?」と心配してくれる人もいます。確かにそうかもしれません。ただ、自分としては「批判」とは考えていません。いつになっても「旧態依然」の学校現場の授業への「挑戦状」くらいの気概で、この塾をやっていきたいと思っています。そして、私の塾から、子供たちの中に本当の学びがうまれる様子を発信していきたいのです。

実際には、かなりの制限がかかってきます。一番ネックになるのは、授業を1週間に最低でも3時間はやりたいのですが、1時間しかできないこと。そして、いろいろな学校の子供たちが集まって学習集団を作ることも、大きな関門です。このような状況下にはりますが、ある程度の成果を出して、あわよくば、若手の先生方に参観してもらって、ご自身の授業の場に持ち帰ってもらえたらと思っています。それにより、群馬県内の学校における「授業改善」「授業改革」が前進することも目論んでいます。

内心、こんな大見得を切って大丈夫か?という不安は大きいのですが。

私の塾に来てほしい子は?

今日(すでに、0時を回っているので実際には昨日)は、イエナプラン教育の勉強会で、埼玉県ふじみ野市へ行ってきました。その様子はまた次回。

今日は、昨日の続きになります。私の塾は「成績が真ん中以上の子にふさわしいのか」という問題です。

結論から言います。私の塾は「一般的な成績の善し悪し」などは、全く意識の範囲外です。すべての子供たちが対象になります。あえて、是非来てほしいタイプをあげるなら、

*学校の勉強がつまらなくなっている子供たち

*学習に関して自信をなくしかけている子供たち

*自分が勉強ができないと(親も自分も)思っている子供たち

*教室の中で言いたいことはあるんだけどなかなか発言できないでいる子供たち

ぜひ、このような子供たちには来てほしいと思います。そして、学ぶことの楽しさを再発見してほしいし、友達との対話を行う中で、友達に自分の考えを伝える楽しさに気づいて自信をつけてほしいと思います。

もちろん、授業中にどんどん発言をして、どんなテストでも100点を取ってしまうような子供にも来てほしいと思います。そのような子供たちは、テストの100点を取るのとは違う「学びの楽しさ(これこそ本物の楽しさです!)」に気づいてくれると思っています。

 

実は、昨日のイエナプランの勉強会で、これに関する話し合いをして来たのです。だから、このことを書きたいのですが、明日は、東京の神田へSeedsに置く本を買い出しに行くので、もう寝なくてはなりません。

寝る前に一つ思い出した!Facebookを通して、子供用図書の寄付をお願いしなくては!ということ。

かつて子供さんたちが読んで、今、ご家庭に眠っている本があったら、寄付してくれませんか。それと、小学生用の国語辞典もほしいのですが。もしあったら一声かけてください。

「成績がいい、悪い」という見方を捨てませんか

友人に塾の話をしながらチラシを渡しました。その友人は、チラシを見ながら、「この塾に行ける子は、真ん中から上の子なんじゃないの。成績が悪い子には難しそうだねー」という反応。

「そうか、一般の人はそう来るか!」と考えさせられました。

そもそも、「成績がいい、悪い」という考え。これまで、子供たちのくくり方の大きな一つがこれでしたよね。「うちの子は頭が悪いから」「あの子は、できがいいから」というようにです。

このくくり方に違和感を覚えませんか?昔から(おそらく太平洋戦争後の高度経済長期、我が国の学校教育がどんどん受験競争のるつぼの中に入り込んだ頃、つまり5、60年も前から)、ほとんどの人がこのようにして子供たちを区別してきました。世の中のお父さん・お母さんは、自分もそうされてきたから、我が子やそのほかの子供たちをそのようにくくることにあまり違和感がないのかもしれません。

しかし、それは大間違いだと思うんです。皆さんが言う「できがいい、悪い」というのは「学校のテストの点数がいいかどうか」ということですね。これはかつては、すごく重視されていました。なぜなら、模擬テストの点数によって受験する高校が決められていたり、大学入試では「足きり」などという言葉もあったくらいに、テストの点数が大事だったからです。しかし、実は学習指導要領のレベルではもう30年も前から、この考えは否定されているんです。ところが、(特に群馬県の場合などは)高校入試問題が昔ながらの「知識量優先」「目先の、表面的な知識」ばかりを大事しているために、結局学校現場の授業が変わらず、昔ながらのテストで「100点」をとることばかりを子供たちに強いているのです。それでは、本当のその子の良さは見られません。

実際に、すでに社会人となってそれぞれの勤務先で中堅としてがんばっている教え子たちと話していて、よく出てくるのが「仕事ができるかどうかは、学歴なんかじゃないね。一流の有名大学出てきても、ほとんど応用が利かない。ところが名前もあまり知らないような大学や専門学校出てきた子の方が、はるかに仕事ができる!」という話。

これを読んでいる皆さんも、同じような思いをしたことが多いのではないですか。そして、高校や大学の受験の中で模擬試験でいい点数をとることにあれだけ頑張って、塾にも通い、勉強をしてきたのに、実際に会社に入ったら、そんなものほとんど役に立たなかった」という経験をした人も多いでしょう。

ところが、やはり自分が親になって我が子を見ると、「学校でいい点数をとらせて、すこしでも【いい高校】に行かせなきゃ!そのためには、有名な受験塾に行かせきゃ!」と考えるようになるんですね。

しかし、【いい高校】【いい大学】ってなんですか?いわゆる昔から言うところの「偏差値が高い高校・大学」が【いい】なんですか?そうではないと思うんです。「その子の個性をしっかりと生かし、伸ばしてくれる高校や大学」「その子が、自分が求める力をしっかりとつけて、社会に出たときに活躍できるための資質・能力をしっかりと身に付けられる高校・大学」が【いい】のではないですか。

まあ、多くの学習塾がそのあたりをしきりにあおるし、学校も点数至上主義のような指導を相変わらずやっているし、仕方ないとは思いますが・・・・

長くなったので、今日はここまでにしますが、明日はこの続きとして、では、私の塾ではどのような子が来ることを期待しているのか、という本題について書きたいと思います。

 

 

CRTテストに見える怖い話

昨日、塾のチラシ配布の準備を相棒としていたときの話です。

と、本題に入る前にきちんと私の大事な相棒を紹介しないといけませんね。彼女は、内田智美さん。5年生と1年生の二人の女の子のお母さん。ご主人は中学校の先生をされています。私が「みらい」の代表者で、智美さんが「Seeds」の代表者です。

その智美さんが、お友達から聞いた話として、そのお友達のお子さんが通っているある小学校5年生の、CRTの結果にまつわるお母さんや子供たちのことを聞かせてくれました。ちなみに、CRTとは、現在我が国で一般的に行われている「図書文化」という出版社が作成している標準学力検査です。これは、一年間を通して、一人一人の子供たちにどの程度の学習が身に付いたかを測るテストで、主に年度末に行います。もう一つNRTというものがあり、こちらは集団の学力を測ることを目的として作られていて、主に年度の初めに行います。市町村によって、どちらかを実施しているのですが、前橋市はかなり前からこのCRTを実施してきたようです。

さて、そのお母さんの話です。3学期の通知表と一緒にCRTの個人結果が返されて、子供も保護者も、その点数があまりに低くて(特に算数が・・)真っ青になったとのこと。その子供さん自身、これまで算数の単元末テストでは大体90点以上をとっていたので、愕然としたそうです。

実は、その子供さんのクラスでは、担任の先生が1学期途中で産休に入り、代わりの先生が来てくれたものの、2学期途中で体調を崩されて辞められ、新しい担任の先生に代わったのだそうです。そんなこともあり、子供たちは完全に落ち着きを失い、授業もなかなか集中できいなかったようなのです。

そして、最後のCRTの結果が、国語はもちろん特に算数が・・・という話なのです。

そのクラスのお母さんたち、そしてその話を聞いた智美さんも、『この子たちの算数は6年生になったらどうなるんだろう!?』と大変心配されている様子でした。

実は、以上は前置きです。この話を聞いての私なりの考えが今日の本題です。

結論から言うと、『算数のこと、そんなに心配しなくても大丈夫。心配なのは国語です。』が私の考えです。

5年生の算数は、確かに6年生の基礎になるような大事な単元があり、その5年生の内容が身に付いてないと言うことは、心配なことではあります。しかし、

これは算数に限らず社会や理科などでもいえることですが、小学校の教科書内容が身に付いてなくても、中学生になって十分に取り返せます。その文中学校に多少の負担は行くことになりますが、中学校の学習で小学校の内容を十分にカバーできるのです。ちなみ、小学校5年生の時に、全く分数の計算ができなかった子供が、中学校に行ったらいつの間にかできるようになっていた、という例はよくあることです。

だから、この学校の子供たちも6年生である程度しっかりとした担任の指導を受ければ
(あくまでも、しっかりとした指導力のある担任に出会えれば、という話ですが)、そんなに心配なく中学生になれます。
ところが、とても心配なのは国語力(教科としての国語の成績がどうか、ということではなく、もっと大きな言語能力・・・読解力や表現力です)です。クラスがそのような状況だったとすると、この子たちはじっくり教材の文章と向き合って言葉についてのリテラシーを高められずに一年間を過ごしてしまった可能性があります。小学校高学年は身体的にも大きく成長する時期ですが、精神的にも思考そのものも大人に近づくことは皆さんご存じの通りです。その思考や精神活動に大きく影響するのが言語の力です。その部分が5年生の一年間で十分に育たなかったとすると、後々に大きく影響します。この子供たちは、早急何らかの手をさしのべてあげる必要がるのですが・・・
 
この子たちを私の塾で学ばせてあげたいですね。私の塾でこそこの子たちは救われるように思うのですが、その学校に行ってPRするわけにはいかないので、遠くから応援だけすることにします。

みらい&Seedsの始まり

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私の塾のロゴ・マークです。今後、このブログは<みらい&Seeds>の塾長:岡野 健としての投稿となります。

1月のはじめから、およそ2ヶ月間ホームページ作りに苦労をしていました。およそ10000円を払って、「ホームページビルダー」というソフトまで買いました。それでもうまくいかず、困り果てていました。

そんな折、関西に住む長女が、スマホ上で簡単にホームページができるサイトを教えてくれました。そしたら、なんとホントに簡単にできるではありませんか。多少の不便さはありますが、一気に立ち上げることができました。ところが、そのサイト、ブログの投稿方法がイマイチよくわかりません。そこで、ブログに関してはとても便利なこちらの「はてなブログ」を使わせてもらうことにしたのです。ちなみに、このはてなブログを知ったのは、S.Kさん(元同僚のお嬢さん)のブログを通してでした。やはり若い人たちは、こういうことに精通しているんですね。

とにもかくにも、今後、<みらい&Seeds>に関わること、学び合いの授業づくりに関することを中心に、時々個人的な趣味の話やジャム作りの話も書かせてもらいます。